寝る前なので手短に。

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近頃、本屋に行くのが苦手だ。

最近はネットショッピングもあるし、本屋に行かずとも欲しい本を手に入れられる。

電子書籍を利用する時間も増えた。

本屋に行くことのメリット(楽しみ)の一つは、「検索では出会えない本と出会うこと」であるが、それこそがまさに問題なのだ。

本屋に行くと、その紙の森の濃度に圧倒されてしまう。

行けば必ず読みたい本が見つかる。

しかし、時間も金銭も無限ではない。

宇宙の寿命は長く、我々の生命は儚い。

本屋に行くたびに増えていく「読みたい本リスト」を見るたびにため息が出る。

読書が「知識を得るための行為」だとしても「カタルシスを得るるための娯楽」だとしても、それらの欲は永遠に満たされない。

その「叶わなさ」に、気分が落ち込む。

だから本屋に行くのが苦手になっている。

Twitterを見ていると、よく思想の偏った人間を目にする。

彼らもたくさん書を読んだりして勉強したのだろうが、我々が身につけることのできる知恵など、この世界からしたら小さなビー玉にすぎない。

自分の支持する意見を突き詰めるだけでも難しいというのに、それに対立する意見にも精通し、正しく反論することなど、土台無理な話である。

類する話として、自然科学系の学問では最新の学説が重要視されるのに対し、人文科学系の学問ではそこに辿り着くまでの過程が全て重視される傾向にあると思う。

哲学とか、歴史とか。

だから人文系の人たちは大変だなぁと思ったり。

最後に、小噺をひとつ。

以前、近所の個人経営みたいな小さな本屋から、親子が買い物袋を下げて出てきたのを目撃した。

当時はレジ袋は無料だった。

その時の子供が本を買ってもらったことをとても喜んでいて、嗚呼、やはり自分で本を選んで手に入れるという体験のためにも本屋は必要なんだなぁ、と思った。

おしまい。